学習意欲って
想念の濁りを
浄化してくれる効果が
あるものだと感じている。
一生勉強、というのが
よく言われるのは
きっとそういう意図ではないかな。
私はそこそこ進学校と思しき
皆が真面目に勉強する中高に通った。
当時クリーンな関係性を築けていたのは
そういうことが大きかったのかもしれないと
よく思う。
机上の勉強である必要は必ずしもなくて
とにかく何かを向上させること。
努力してると濁る暇がない。
私は社会人になってもしばらくは
色々なことを学んでいたけれども
仕事で疲れ果てた時期からしばらく
勉強することを止めたことがある。
いつか自分の理想を実現するために
勉強しているつもりだった。
だから、理想とかけ離れたままの
現実とのギャップに
とうとう耐えられなくなったのだ。
高みに登ろうとしていること自体が
自分を苦しめているのかもと疑問を感じ
生き方に自信がなくなった。
それで一旦、自分を解放してみようとした。
だが、それから
徐々に想念が濁ってきて
また結局、苦しくなってしまったのだ。
ということは
立てた仮説が違うということ。
私を辛くしたのは
勉強自体ではなく
努力を手段にしたことで
ある種のさもしさが生まれ
それが
私を辛くしていたのではないかと
考えるようになった。
私はゼロからまた勉強を始めた。
今度は
役に立つか立たないかは
どちらでもいいと思った。
つまり、理想を実現できなくてもいいから
ただ勉強がしたいと思った。
ただ、誰にも邪魔されずに
前に進む何かを感じたかった。
また世界が拡張し始めた。
想念も少しずつ清浄化された。
出会う人の質も改善されてきた。
また自分に自信が戻ってきた。