神経質って
ネガティブなイメージがあるけど
私は可愛いと思う。
多少神経質なくらいじゃないと
絶妙な距離感て
保てないんだろうし。
実際、営業がうまい人って
一見めちゃフレンドリーなように
見えるけど
本当はすごく神経質な人が多い。
相手がどういうことを
嫌がるのかを察知することが
信頼につながる。
神経質さは
乗り越えるもんじゃなくて
大事にするもんだよ。
神経質って
ネガティブなイメージがあるけど
私は可愛いと思う。
多少神経質なくらいじゃないと
絶妙な距離感て
保てないんだろうし。
実際、営業がうまい人って
一見めちゃフレンドリーなように
見えるけど
本当はすごく神経質な人が多い。
相手がどういうことを
嫌がるのかを察知することが
信頼につながる。
神経質さは
乗り越えるもんじゃなくて
大事にするもんだよ。
昔はいつも何かしら
欠落を見つけては
自分をアップグレードさせなくちゃって
躍起になってたんだけど
あるときから
アップグレードしなくて
いいや。
なんかしんどいだけかも。
このままで
どこまでいけるか
やってみよーじゃん。
って思うようになった。
それからやっと
子供時代の自己肯定力が
戻ってきて
とっても健やかになった。
何かを
欠落と決めるか
個性として受け入れるか
人生を気持ち良く生きていく上で
すごく大きな分かれ道だと
今思う。
もちろん今だって
直さないといけないところもあるし
気を付けなくちゃって
改善しようと意識することもあるけれど
でもベースについては
しっかり信頼した上での話。
ちょっと惜しいから
直しとこう位の気持ちで。
それがたとえ
惜しくなかったとしても。
今は身も心も
学生のコスプレしてる感じ。
昔働いてたとき
身も心も
会社員のコスプレしてると
思えてたら
もっと楽だったかもなって
思う。
私は環境や立場で
コロコロ変わってしまう。
だけど
自分がないわけじゃないし
むしろ我が強くて
困る位なのに
その便利な性質のせいで
なんだか不安定で。
いつも何かのコスプレを
してると思えば
もっと軽やかに
生きていける気がする。
世間に合わせる仕事って
プロとしての自負は感じても
魂を削られる
誰にどう思われてもいいとして行う仕事は
自分を癒やすことができる
佐渡島傭平さんがテレビで言ってた。
だからか。
仕事の中で
よくもこんな器用に振る舞えるなと
我ながら気持ち悪く思いながらも、
心が磨り減ってイライラが募り、
プライドばかりが高くなってた。
プロ意識に憧れてたし
今も尊いとは思ってるけど
どこか警戒心を感じてたのは
自己の置き去りにつながる
危うさに関してだったんだ。
程よい距離感を保っていくべきもの
だったんだな。
どのポイントでわがままを通すか、
そこを磨かないと。
本当に中立的なことを
言えるようになるには、
全業界業種に首をしっかり
突っ込んでみないとできないと思う。
コンサルとかでもなく、
一従業員として中に入らなければ、
本当の苦労とか
そこならではのやりにくさは
なかなか見えて来ないのではないか。
だから、現実的には
無理なんだと思う。
よっぽどの頭の良さとか
特殊な状況がないと。
業界業種によって、
事柄の厳密さや重さ、不透明感など
全然違う。
私は昔から
井の中の蛙になるのが恐くて
異業種への転職を何回かした。
毎回、驚きがあったし
少しばかり知った気になったけれど
それでも全然、種類が
足りないと思うこともある。
今はネット社会だし、
そこらじゅうで、断片的な理解による
断定的な表現を沢山見るけれど
書き物やコンサルを職業とする人達は
断定したほうが仕事になるから
そうしてるだけだったりするから
利害関係を見極めて
情報源にはよく気を付けないとね。
より良く働くことができれば
より良く生きることができるはず。
それも複数の人がまとめて
より良くなれるんじゃないか
って信じているから。
改善が好き。
でもそれは、
働く人を最大限に使いきろう
ってことでは全然なくて
みんなで工夫していこうって
いう空気があると
モチベーションも上がるし
人間関係も良くなると思う。
よりやりやすく出来るように
相手の立場に立って
最大公約数の仕事の仕方を
一人一人が考えてたら
きっと居心地の良い空間が
出来上がるはず。
そんな中で
私も働いてみたい。
どう歳を重ねるか、は
結構考えてる。
40になったら
顔は自分の責任て言うよね。
40の自分の顔に
自分で責任が持てるような生き方を
積み重ねたい。
美容とか化粧よりも
何よりも
自分を作っていくのは
ひとつひとつの
出来事に対する受け止め方。
それがダメだと
顔と姿勢が歪むと思う。
外圧で歪みそうになることは
たまにあるけれど
少なくとも
自分で自分を歪ませることの
ないように
きちんと律していきたい。