月別アーカイブ: 2018年2月

多分、元凶はそれ

​なくても良かった人生なのかなと
思ってる時期が長かったから
(まあ誤解なんだけど。)

人から求められないのなら
自分が納得できるようにするしか
方法がないと思った。

どうしたら
生まれて良かったなあって
思えるかなって考えたとき

沢山感動できれば
納得できるんじゃないかって
思ったんだよね。

だからとにかく
感動したいんだよね。

平凡を避けるのは
そうゆうことかも。

なんかちょっとでもいいから
とにかく感動したいって
思ってたんだと思う。

だけど、その冒険心が
私を大きく振り回している

つまり
私は自分の冒険心によって
苦労してしまっている面がある

ってことに最近気がついた。

そろそろ平凡を愛せる位に
大人になりたい。

愚痴はたまに大切

って思ってるけど

共感できない愚痴を聞くのは
疲れるんだなあ。

自分の自戒も込めて、
ちゃんと共感できる似た価値観の人に
しないとだめね。

あとやっぱり私は
根治療法する気なく、
対処療法しか考えてない人には
あまり付き合いたくない。

今は甘ったれた感覚では
試験に受からないから
今私は甘い考えの人を遠ざけたいのだと思う。

誰かに褒めて欲しくて生きてる人は
他人に依存してる訳だから
振り回されて愚痴につながりやすい。

色々乱されてうまくいかないだろうけど
自業自得なことが多い。
なかなか指摘できないけど。

自分の判断で行動するって
すごく責任が伴うから

相手にすぐ合わせるのは
いい子ちゃんのようでいて
実はおサボりさんなところがある。

そしてしっかり愚痴を溜め込むから
聞くとすごく疲れる。

相手にスッキリすると言ってもらうけど
私は逆に
相手の重荷を肩代わりできてしまうらしく
しばらく重くなってしまう。

つまり、
もし私が誰かに愚痴を聞いてもらって
スッキリしたならば
相手に重荷を渡した可能性があるってことだね。
ちゃんと認識しとかないとな。

人から受けるストレスは
受け流すか、
直接返すか、
どちらかにしないとね。

溜め込むエコシステムからは
脱却しないと。

聴く側も
聞いてあげてるとか
何かをやってあげてる気持ちになったらアウト。

つまり
そんな気持ちになるなら
聞かないべき。偽善だから。

もちろん、親しい友人が
緊急事態や特殊な状況に置かれた時は
別だけどね。

私の中にはいるよ

こないだ親戚が亡くなった。

小さい頃によくうちに遊びに来てくれて
お世話になった人だった。

末期の癌で
最後は危篤と言われてからも
頑張りやさんで約1ヶ月弱。

これ以上なく苦しそうだったから

やっと解放されたのかもなあと

少しほっとした気持ちにもなった。

今、おばさんは
目には見えなくなったけど

私の中にいる。

誰かがいなくなったとき

その人がきっと言うであろうことを

脳内で再現できる位に
その人のことを知っていたら

その人は肉体を失ったとしても
私の中で生き続けることができる。

出会う人全員を
そんな風にまで把握することは
できないだろうから

ご縁あって知り得た
心遣いのある方々を
大切に心に貯めて

豊かに共存していきたい。