月別アーカイブ: 2016年9月

温かい静寂

今はまだイメージわかないけど

おばあちゃんになったときに
パートナーがいてくれたらなとは
素直に思うかも。
そうゆう観点で探してみようかな。

あと、誰かの高潔な誇りを支えるのは
すごく素敵なことだなと。

自分を華やかに着飾って
人に見てもらうってのは
あんまり興味が持てないんだよね。

コスプレ的に
ドレスや着物で着飾って
写真を記念に撮るのは
面白そうだなって思うんだけど

例えば、ドレス着て
キレイよーって涙浮かべられても
なんだかなあ〜。

私の心根に触れて感動してくれてるのなら
喜べるんだけど
こんなに感動してくれてるの初めてだよね、
もっとナカミ見て欲しいのに
見た目には感動してくれるんだ。。って

関係性の薄さを感じて
凹んじゃいそう。

あとゴールだとかスタートだとかに見立てて
幸せになってね、とか
なんか子供の時から違和感で。

人には挨拶で言うし
それは違和感とかは特にないんだけど、
いざ自分となるとね。

儀式とは関係なく、人生は地続きだし。

人と関わるってことは
2人の関係性に全てがかかってくる。
そりゃ祝福される方が幸せだろうけど

祝福がその後の幸せを
担保してくれるわけでもないし。

音がなくても満たされてて
温かくて穏やかな感じが理想。

ノックは大事

扉は叩き続ける。
時々間違ってる扉を
叩いてしまうこともあるけれど

でもいいんだ。
間違ったら閉じればいいし。

叩いても開かないかもしれないけど
叩かないと普通、扉は開かない。

遠慮したり、後退りしてしまうこともあるから
しっかり心に留めておかないとな。

日本採集

今、断然、国内旅行したい。

子供の頃は
興味がなかったんだけどなあ。

多分、毎日が非日常だったし
自分自身がまだ自然の一部だったから。

今はもう自然の一部とは
違った存在になったのだろう。

20代位までは海外に興味があったけれど
出張や転勤で日本の色々なところに
行かせてもらったことで

私は身近な日本のことを
知らなすぎるのだとわかった。

地図や写真で見ても
行かないとわからないことが
たくさんある。

たとえば気候によって人の気質も
色々変わるけれど

接してみないとわからない。

場所が変わると方言が変わるなんて
当たり前のようだけれど

それで人の雰囲気も違うし
考えてみたら、すごく不思議。

日本の魅力をもっと開拓したい。

自分の育った文化に対する
誇りを高めるって

大事なことな気がするんだよね。
地球人的な視点でね。

世界にも面白いところは
色々あると思うけれど

まずは少し身近なところを
肌身で感じて見て回りたい。

それもできれば自転車で。

私の処方箋

元々、あまり薬を飲むのが好きではない。

だけど
数年前からPMSが気になるようになって
ホメオパシーやフラワーエッセンスを
試すようになった。

私の場合は、割と効き目があって
重宝している。

メカニズムに納得しているわけでは
全然ないのだけれど
不思議なことを体感しているようで
興味深い。

たくさんの種類から選ばないといけないので
それらを使うには自分の本質や状態を
勇気を持って分析する必要がある。

曇りやバイアスがない目で
問題解決の仮説を立てられるかどうか。
仮説さえ立てられれば、前に進める。

本当は何を感じているのか、
日常に埋もれた気持ちを
丁寧に洗い直す。

自分を見つめること。

それ自体が
治癒に近付く一歩になる、
というコンセプトならば
納得できるのだけど

話はそれだけではないようなので
時間ができたら
しっかり勉強してみたい。

知りたいことが増えるのが
嬉しい。

星回り

仕事をするようになって
恐かったこと。

私が売ると
モノやサービスが
よく売れるらしいってこと。

いいことのようだけれど
扱う商品に自信が持てないと恐い。

なぜかそんなに勧めていないのに
「よくわからないけれど、
あなたから買ってみようと思う」
と言われ

自分が大切に温めてきた
自分の人柄を

資本主義に
浪費か濫用されてるように感じて
すごく気持ちが荒んだ。

特に、投資商品を売っていたときは
個人的にあまりお勧めできない日もあって

でも断定できないことは
言ってはいけないルール。

個人的な価値観で
勧めるのを止めたいと思う日もある。

けれどノルマもある。
買いたい人がいるのに
売らない訳にはいかない。

それほどリスクが高いものでは
なかったのだけれど
当時は若かったこともあったのか、
いちいち悲しかった。

今までも、お客さんに可愛がってもらったりと
私にとって助かっていることは
あるのだろうけれど

今後必ず、社会のために
この星回りをきちんと役立てたい。

雨の中、

ママバッグをぶらさげた、
重そうなベビーカー。

傘を閉じて
赤ちゃんごと持ち上げて
階段を降りるママ。

私はちょうど道に迷って
スマホとにらめっこ中で

気付いたときには
既に持ち上げて、下り始めてて
びっくり。

途中で声かけるのも
危ないかなと思って
こっそり後ろから自分の傘をさした。
意味があったか、わからないけど。

本当は手伝いたかったなあ。

気付くの遅い私が悪いけど
でも、もし声かけてくれてたら
喜んで手伝ったのにな。

なんてことなくても
力になれたら嬉しいよね。

私がもしママになったら
周りにたくさんお願いしようって
思った。

助けを求めるのは
お互いのためだなって。

でも
私もよく考えたら
お願いできないタイプ。

似た話で
特に相談がヘタクソ。

後で人のせいに
したくないってのもあるけど
一人で決断した結果を
ポンと持っていって
人を傷つける。

相談って
お互いに気持ち良く
決められるのにね。

客観的にはわかるのに、ねぇ。

特別に何があったわけでもないけれど
色んな意味で、でこぼこしてて
決して平坦ではない道だった気がする。

ふと振り返ったときに

何度も真剣にしてきた
自分の決断の数々が
これ以上ないくらいに不器用で
自分らしいものだったのかと
気付かされて

これまでの葛藤や苦悩が
我ながら、なんとも愛おしく
感じられるようになった。

私が生きているんだから
私らしい道になるのは
考えてみたら、当たり前。

でもそれに気付かずに
悲しんだり、不貞腐れたり、
しちゃってたな。恥

私がもう少し素直に考えれば
道ももう少し素直になるだろう。

そろそろ少し賢くなりたい。

愛おしさの範囲

人は皆、
考え方に歪みが多かれ少なかれある。
それぞれ違う経験をしてるからね。
仕方ないよね。

物事には大抵、原因がきちんとあるし、
元々何の理由もなく歪んでいることは
少ない。
大抵なんらかの傷を負った原因がある。

頑張り屋であればあるほど
傷つくことが増えるから
歪みやすいもの。

頑張り屋なのに、
繊細なのに
歪みが見えない人は
歪みがないわけではない。

自分を律するために
相当な努力をしている。

華やかさや、
しっかりとした魅力の裏には
必ず地味で苦しい努力があると思う。

みんな大なり小なり歪んでるし
大変なのが当たり前。

だから、目指すべきは
歪みを認めないことや
開き直ってラクを追い求めること
ではない。

自分の歪みを見つめると
自信がなくなるけれど

他人の歪みに対する葛藤が見えると
可愛いなと思う。
この人の魅力の根源はそこなんだなって思う。

自分のも可愛いと思えたらなあ。

『ぼくの命は言葉とともにある』

福島智さんの本を読んだ。

どうしてなんだろう。
こんなにも深い理解力と洞察力。
ゆったりとした成熟感。

よく整頓された精神から
紡ぎ出される表現は
心のヒダまで嘘がなさそうで

まるで、丁寧に作られ
程よい味付けがなされた食べ物のように
すうーっと身体に沁み渡るかのよう。

障害を持つことで
人間的に成熟しやすい、
とも考えられるけれど

視覚のない方々はしばしば
他の障害と比べても
感受性が格段に鋭敏な印象を受ける。

著者の福島さんは、
さらに聴覚まで途中から失われて。

きっと、もう思索の量と質が
圧倒的なのだ。

苦悩は計り知れないし
テーマは極めて真面目だし
固くなりそうなのに
その文体はユーモアたっぷりで
人柄を身近に感じられるところが魅力。

それらの教養は
たくさんの読書からだという。

彼に影響を与えた、素敵な引用が
たくさん散りばめられていて
その一つ一つが興味深い。

読書が心を豊かにするってことを
わかりやすく証明する、
とっても良いサンプル。

根っこ

問題の本質は
楽しんでるか否か。

環境が問題でもなく、
状況が問題でもなく、
能力が問題でもなく、
体力が問題なのでもない。

楽しめさえすれば、
どうでも良くなってしまうことばかり。

楽しめていないならば
なぜ楽しめないのか、
よく考える必要がある。

よっぽどの事情があれば
別だけど

考え方や思い込み、
見栄などに翻弄されていないか。

自分で自らを
楽しくなくしてしまっている
要素がないか、
よく見つめたい。