月別アーカイブ: 2017年11月

光ってるのは


表面的でなく、無理なく芯から
自然とキラキラしてるってことは

多少なりとも苦悩や葛藤が
そこにあるってことなんじゃないか。

苦悩や葛藤をキラキラに
昇華させられるかは

さわやかな価値観や想念をいかに持てるかに
かかってる。

光ってる人を見ると
その裏にあるだろう努力や矜持に恐れ入り
尊敬する。

多分、誰でもしてるような努力の程度では
そんなに光は放ってないはずだから。

そういう人だから
教えてくれることはほとんどないだろうけど
それなりの犠牲を払ってるだろうって思う。

距離と役割の関係

人の分析が割と得意で
分析モードで集中すると
その人をやる気にして
元気にできる言葉がかけられる。

喜んでもらえるし
私も私を満足に使えたというか

自分にしかない表現をもって
人に貢献できた感があって
嬉しくなるし

お酒の入る場で盛り上げがてらに
やることが多いのだけど

これをやると、
すごく姉御キャラに見えるらしいが
実際はそうでもない。

多分、飲み会で会う程度の距離感だからこそ
客観視できて言い当てられるのだと思う。

もっと近い距離の関係になったら
主観的な感情が入るから
多分アンテナはあまりちゃんと働かない。

関係の距離によって担える役割って変わるよね。

写真の難しさ

昔、写真を練習したいと思っていて

なにか撮るものがないか
いつも考えていたときがあって
しばらくそうしていた頃、

構図など、撮ることばかりに気を取られ

旅行に行っても、自分がそこにいることを
しっかり感じて噛みしめられていないような、

また、人に会っても
その人と会う、対話をすることに
しっかり重きを置けていなかったような、

その場を写真の手段にしてしまったような気がして
ちょっと反省したことがあった。

写真をうまく撮れた思い出や
それで褒められることよりも

自分にしかない感覚で
その場にいたことや
誰かと会ってしっかり対話して

気持ちが豊かになったことを
心の引き出しにきちんとしまっておきたい。

記録の意味もあるけれども
趣味で撮る写真は表現手段だから、

何か伝えたい気持ち、思い入れがあってこそ
自分にとって意義深いものになる気がしていて。

それに
撮る対象が、風景でも人でも物であっても

それらと自分との関係性や
その時の心情は、意外と結構映ってしまう。

記録を残すなら、本質をおさえた上で
「今」にきちんと足をつけた上で撮りたいし

そうできる位、コンディションの良い自分を
キープしたい。

読書の効き目

見た目も大人だし、
仕事もしっかりできるのに
いざ精神的な話になると
幼く感じる人がいる。

世の中にごまんとありふれた悩みに
深く悩まされてたりして

なんでかなあと思っていたけど
もしかしたら、読書量が少ないのかな。

悩みは
相対化したもん勝ちだと思うのだけど
​本を読まないとそれが
上手にならないのではないか。

友人や家族など、直接に話す相手で
それを補える人もいると思うけど

それには
傾聴力とかコミュニケーション能力、
本音が聞ける関係の構築力はもちろんのこと、

真面目な議論ができる状況を作り、
お互いの時間の都合を設定するところまで
揃わなければならないから
なかなかのハードルである。

これをすっ飛ばせるのが読書だ。

本を読むと
色んな人の感じ方や思い、悩みを
知ることができる。

普通にしていたら
相当親しくなるまで話してもらえないような
赤裸々な経験や本音を知ることができる。

そうすることで
自分の置かれた状況や悩みを相対化して
客観的に俯瞰できるようになるのかなと。

最近、自分の考えを熟成させるために
あえて本を読んでいなかったけれども

やっぱり、また程々に読んでいこう。

今着たいもの

​昔は機能性よりも
デザイン性に惹かれて
服を買っていた気がするのだけど

今は断然機能性だ。

色は今もこだわるけど
デザインはシンプルなものが好き。

ヒラヒラやリボンがついていると
そこが乾きにくかったり
取れたり壊れたりしたら
嫌だなーと思うし

何枚も重ねて着るのは面倒だから
胸が空き過ぎない
一枚で着られるものを選ぶ。

受験勉強で
合理性を追求する考えに
偏ってるのかな。

あと自分の顔が地味ではないと
人から言われて気付いたので

それであれば尚更、
服はシンプルがいいだろうと思って。

全体のバランスはとても気になる。

それから
視覚効果を信頼してて
色の優先度は高め。

すごくピンと来た色味だと
何年経っても気分を高めてくれるから。

やっぱりファッションは
生き方が出ると思う。

てらいなく、ストレートな感じで
でも、つまらなくないというか

どこが良いのか説明しづらいけど
なんか良いよね、ってのが理想。

もう、ほとんど持ってる

​答えが自分の外にあると思ってたときは
しんどかったけど

自分の中の答えを信じる決意をしてからは
生き心地がすごく良くなった。

本を読まなくなったから
良くないようでいて
しっかり自分の内側に
耳を傾けられるようになった。

本はどの程度読むべきなのか
何かを取り込もうとし過ぎてたのか、

また試行錯誤が必要である。

独自のメニューを

合理的なのが好き。
無駄が嫌いである。

と思ってた。
厳密には、今もかなり思ってる。

けど、
あまりに合理主義に走ると

自分である必要がなくなってしまう
ってのは
心に留めておかなければ。

合理性を突き詰めると
誰でもいいことになってしまう。

仕事上では
良い面が沢山思いつくけれど

プライベートで
自分である必要がないなんて
精神崩壊である。

無駄にしか
個性は宿りづらい。

生きる上では
自分である必要があるし、
人と関わるための魅力は
個性の中にしか宿らない。

やらなくても良いことなのに
無駄だけど、なぜだかやりたいこと。
それでしか発散できないことがある。
それでしか満たせない部分がある。

人から見たら不可解であったり
どうでもいいような非合理的な趣味は
生きる上で大切にした方がいい。

そういうものが
真に内面を満たしてくれるものである
可能性が高いから。

世の中にあふれてる既存のメニューが
自分を満たしてくれるとは
限らないことを

しっかり覚えとかないと
ただ振り回されてしまう。

どう役立つか

​話したら意外がられそうだけども

日常的な楽しみとして
何気なく喜ばれるのも嬉しいけれども

どちらかというと
本気で何かを考えたいときとか
いざ困ったときとかに
役に立ちたい。

楽しい人って評価もありがたいけど

それって
相手の方の人柄が良くて
私がそのとき気分が良かっただけな気もするし

あんまり期待に応え続けられる自信は
元からないかも。

それよりは
いざって時の方が
期待に応えられる気がするし

是非とも応えたいって思う。