作成者別アーカイブ: matome

脳みそスペック

を理解して、
受け入れることが大事。

私は多分
1日に頭に入れられる量や
1時間あたりに頭に入る量が
決まっていて

それ以上詰め込もうとしても
余分な栄養素のように流れてしまう。

しかもその規定量は
精神状態に大きく左右されるし

気持ちに背いて無理矢理頑張ると
後でどうにも頑張れなくなる。

理解の仕方も自分の流儀があり

全て理屈をつけて頭に入れないと
全く身につかない。

計算問題だからといって
慣れるために闇雲に量をこなしてもダメ。

柔軟性が全然ないなとは思うけれど
本当だから仕方ない。

全て納得できる理屈を
一つずつ丁寧に編み出す必要があるから

学習が進むまでは時間がかかる。

でも、そうすると忘れにくいし
学習が深まるにつれて

自分でも気付かない抽象的なレベルで
理解が進んでくることが多い。

但し、そこまで整理されるまでが
ものすごく地道で
なかなかハードである。

読書

昔は
これを読んでおけば
役に立つだろう、
みたいな観点でも
本を買っていたから

それはもう多岐に渡る内容で
仕事が忙しくなっていくにつれ
積ん読の量もどんどん増えてた。

そしてある時
本当に読みたいのかどうかも
もはやわからない山を見て
苛立ちを覚えたとき

私は自分の人生や価値観を
他人に乗っ取られそうに
なっているのではないかと
ふと思った。

なんであれ、少しは役に立つから
売っている訳で

でも、あくまでも
一他人の意見に過ぎない。

売れているからといって
その意見が正しいかもわからない。

その本が私を
ミスリードする可能性だってある。

役に立つ、という観点は
一見、優等生的ではあるけれど

選択の判断基準としては
いささか危ういものだと思う。

読書は確かに役に立つけれども
それは自分の思考ありきで

自分の意見がしっかりあってこそ
深い考察につながり、教養になる。

私は独自の考察を持ちたいのだと
気付いてから

インプットの量を一旦
かなり減らした。

何が本当に読みたいのか
よく考え直したかったから。

読みたい物だけをインプットして
考えたいように考えることにした。

本の内容よりも
自分の意見や感じ方に注目することに
決めた。

それ以来、気持ちも楽になったよ。
前は不自然なことしてたんだなあ。

異世代のセンス

私は働くことが
すごく好きだったし
とってもキャリア志向だった。

だからこうして
休むって決められたこと
昔の自分ならびっくりすると思う。

けれど今は
本当によかったって思ってる。

だけどどうして、
そんなことできたのかなって
考えてみたとき

思い出すのは
60代の恩師と大先輩が
教えてくれたこと。

「おもしろい人だなって思う大人は
浪人なり、留年なり、留学なり、

何かしら寄り道をしてるんだよね。

若い人は効率性ばかり意識して
キャリアがどうとか言うけど

たかが数年寄り道したって
最終的には全然関係ないし

むしろ人間に深みが出てると思う人が
結構いるよね。」

これ聞いたとき、すごくハッとした。

私ってすごく小さな価値観に
閉じ込められてたのかもと。

世代の異なる人の言うことって
自分では絶対に感じられないこと。

今は効率ばかりが優先されて
短期的なことばかり求められる私達は

団塊の世代あたりの
日本を背負う気概を持って
真面目に働いてきた人たちの

スキルの厚みや
考え方の深みや
誇り高さに

もっと見習う点があるのではないかと
思ったりするのである。

それも私

社会に出てから
本音が結構厳しい面を
なるべく見せないように
気をつけてきたけれど

もう若手ではないし
そういう作為的コントロールは
やめようかなと思っている。

意図的に甘くしてると
自分にも甘くなっちゃって
なんかしゃんとしないし。

根が厳しめなのは
あまり喜ばれない性質だと思うし

良いとか悪いとかもあるけれど

もう、そういう個性なんだから
仕方ないとして
手放していきたい。

冷たくはないので
そこは心配してもらいたくないけど

甘すぎる人の話って
何度も同じこと聞かされると

なんで改善に向けて努力しないのか
わからないし

その不真面目さに
正直イライラする。

そんな自分もそろそろ認めてあげたい。

まずは自分を大切にしないと
いけないからね。

手のひらメンター

なにか迷ったときの灯台のような
話を聞くだけで導かれるような
メンターが欲しいなあって

時々思うけど

実際には
なかなか見つからないもの。

いたとしても、そんなに
しょっちゅうは会えない。

そんな中で

ツイッターはうまく使えば
メンター代わりにもなる
なかなか優秀な存在だと思う。

使い始めたときは
精神が少々荒れていたので
引き寄せてしまったのか

なぜか幼稚というか
どうでもいいツイートばかりが流れて

ツイッターてダメかも。
と思ったこともあったのだけど

その後、徐々にフォローする相手を
よく選り好みして
時には断捨離してったら
(外した方ごめんね)

だんだんと見違えるように
素敵な健やかなツイートが
流れるようになって

今では学んだり
勇気づけられることも多い。

ツイッター画面て
心象風景の現れなんだなあと
過去を反省した次第です。

そういうのって
ウェブ上に限らず、
現実世界でも同じなんだろうし

我が身は心身ともに
健やかにしておかないとね。

お化粧マーケティング

働く時は、しっかり見えたほうが
何かと得。

化粧をすると
優しくなる人が多いってこと、

学生時代にバイトで確かめたのは
懐かしい思い出。

あと公式なイベントに行くときも
マナーのためにしていく。

誘って頂いた方に
恥をかかせないため。

その他は
気分がノったとき。

お気に入りの服を着た日に
スパイス的に

マスカラや
カラーをまぶたやチークに
ちょちょっと入れるのは好き。

だけど
それ以外は面倒というか
しない方が肌にもいい気がして。

とはいえ、たま~に
大人だしまずいのかなあと

ぼんやり思わない訳でもない
そんな中に丁度いい記事。

すっぴんが好きな人は
飾り合うことなく本音で向き合って
付き合いたい人だそうな。
いいね。

逆に化粧顔が好きな人は
相手に幻想を抱いていたい人だって。
・・・うーん結構嫌だな。

それなら
私のマーケティングは
間違ってないね!

なんちゃって。

さぼりを正当化する
すてきな言い訳をみっけた日曜。

11月恒例の

風邪をひいてしまった。

止まらない鼻水から始まって、
口呼吸してたら喉が痛くなって
熱が出て~のコース。

マスクしとけば良かった~。

久しぶりに鼻をかみ過ぎて
鼻周りが赤く荒れて
痛くなってしまったのだけど

今回は、なんとなく良さそうと
リップクリームを鼻の荒れに塗ったら

すっごくキレイに治ってきた。
うれしい。

顔に痛いところあると
気持ちが萎えるからね。

ポリシー

私は人生を堪能して
生き切りたい。

そのためには
自分の個性や能力にあった
社会への貢献が必要。

だから、私は
自分が納得できる働きができるように
自分の状況を運ぶ責任がある

っていう考え方。

別にこれが正しいと
思ってるわけでは全然なくて

ただ私はそういう風に
生きたいっていうビジョンを
持ってるだけ。

仮に間違ってたとしても
納得するところまで
突き進みたいんだ。

自分で確かめたいから。

宝物達とともに

生きたいね。

やっぱり全員とは
仲良くできなくて当たり前。

長く付き合える、
長く大好きでいられる傾向を
考えてみると

自立している
いちいち右往左往しない
共感的
真に相手の立場に立てる
比較したり裁くようないやらしさがない
真心で接してくれる
距離感が行儀よい
リスペクトがある

そんな感じかなあ。

私もそういうふうでありたい。

母という生きもの

街で通りすがった
素敵な母子をみてふと考えた。

私にとって
お母さんとしての美しさって
なんだろうと。

承認欲求の少なさ、かな。

特に、
昔は私を見て見て!だった人が

そうじゃなくなる姿には
本当に感動します。

それは、
化粧をしてるとか
そういう表面的な美しさとは
必ずしも関係なくて

人生の主役が
自分から子供に移ったことを

何のためらいも
卑屈になることもなく
受け入れてる姿が神々しい。

心に余裕がなければ
そうはできないと思うし

そうゆう人を見ると
なんとも言えないキレイな感じに
とても癒されます。