カテゴリー別アーカイブ: 未分類

プロ意識と自分と

​世間に合わせる仕事って
プロとしての自負は感じても
魂を削られる
誰にどう思われてもいいとして行う仕事は
自分を癒やすことができる

佐渡島傭平さんがテレビで言ってた。
だからか。

仕事の中で
よくもこんな器用に振る舞えるなと
我ながら気持ち悪く思いながらも、

心が磨り減ってイライラが募り、
プライドばかりが高くなってた。

プロ意識に憧れてたし
今も尊いとは思ってるけど

どこか警戒心を感じてたのは
自己の置き去りにつながる
危うさに関してだったんだ。

程よい距離感を保っていくべきもの
だったんだな。

どのポイントでわがままを通すか、
そこを磨かないと。

ジャーナリズムの難しさ

​本当に中立的なことを
言えるようになるには、

全業界業種に首をしっかり
突っ込んでみないとできないと思う。

コンサルとかでもなく、
一従業員として中に入らなければ、

本当の苦労とか
そこならではのやりにくさは
なかなか見えて来ないのではないか。

だから、現実的には
無理なんだと思う。

よっぽどの頭の良さとか
特殊な状況がないと。

業界業種によって、
事柄の厳密さや重さ、不透明感など
全然違う。

私は昔から
井の中の蛙になるのが恐くて
異業種への転職を何回かした。

毎回、驚きがあったし
少しばかり知った気になったけれど
それでも全然、種類が
足りないと思うこともある。

今はネット社会だし、
そこらじゅうで、断片的な理解による
断定的な表現を沢山見るけれど

書き物やコンサルを職業とする人達は
断定したほうが仕事になるから
そうしてるだけだったりするから

利害関係を見極めて
情報源にはよく気を付けないとね。

経営学が好きなのは

より良く働くことができれば
より良く生きることができるはず。

それも複数の人がまとめて
より良くなれるんじゃないか

って信じているから。

改善が好き。

でもそれは、
働く人を最大限に使いきろう
ってことでは全然なくて

みんなで工夫していこうって
いう空気があると

モチベーションも上がるし
人間関係も良くなると思う。

よりやりやすく出来るように
相手の立場に立って

最大公約数の仕事の仕方を
一人一人が考えてたら

きっと居心地の良い空間が
出来上がるはず。

そんな中で
私も働いてみたい。

​どう歳を重ねるか、は
結構考えてる。

40になったら
顔は自分の責任て言うよね。

40の自分の顔に
自分で責任が持てるような生き方を
積み重ねたい。

​美容とか化粧よりも
何よりも

自分を作っていくのは

ひとつひとつの
出来事に対する受け止め方。

それがダメだと
顔と姿勢が歪むと思う。

外圧で歪みそうになることは
たまにあるけれど

少なくとも
自分で自分を歪ませることの
ないように

きちんと律していきたい。

人目のコントロール

​人目が気になるのだとしたら
それは
自分を楽しめていないからだ。

自分を楽しめていたら
誰が何と言おうと
どうでもよく感じる。
気にならない。

つまり
人から言われた内容自体に
問題があるのではなく

それを聞かされた自分の
心の状態に違いがある
ということ。

だから
もし傷付いたら
言われた内容について
気にするのではなくて

自分が自分を楽しめていないことを
きちんと認識して

なぜ楽しめてないのか

ちゃんと楽しむには
どうしたら良いのかを
しっかり考えるといい。

なんでも糧に

​苦労があっても
そこから逃げ回るんじゃなくて

自分なりに今後に活かせるように
振り返って分析して
きちっと立ち向かったら

自分を磨く糧に
できるんじゃないか。

そしたら
自分の人間としての魅力を
最大限引き出せて
より素敵な方に出会えるようになって

想念がバージョンアップできて
より思い出深い人生に
できるんじゃないかって。

そしたら人生として
きっとすごく満足できるだろうって
思ってる。

立ち止まる尊さ

関心のある情報を
外からかき集めるのが
得意ってこともあって

昔はめっちゃくちゃいろんなことを
調べたり見たりしていたけれども

こうして資格取得に邁進することにしてから
必要最低限の情報しか集めなくなって

誰とも話ができる土壌は
なくなってしまったかもしれないけど

足るを知る、という感覚を
肌で理解できた気がしている。

もっともっとと思うと
焦燥感が生まれる。

幸せは量じゃないんだよね。
頭では始めからわかっていたはずなのに
世間やマスコミに煽られていたのかも。

きっと今の状況にならなければ
情報収集はやめられなかったと思う。

そう思うと、
すごく自然な思いで勉強を始めたことが
やっぱり何かに導かれたのかなって
腑に落ちるのだ。

明るいのはあなただよ

​私が一緒にいて楽しい人ならば
それは
私が明るいからではない。

あなたが気持ちの良い人だからだ。
そもそも私は明るくはない。

私が癒される音楽は
別れの曲が多くて

でも、人生でそんなに別れに
対面したこともないから
不思議に思ってたけど

死生観はずっと意識してるから
その表れなのかも。

切なさを伴う、
明る過ぎず暗過ぎないもの。

どんな激しい感情も
時の流れと共に薄らいでいく。

人生を俯瞰して抽象化したら
きっと、暗過ぎず明る過ぎず
淡々としたイメージのものな気がする。

全てを克明に
覚え続けてることも難しいし

いつかは無になるんだし。

これも多分星回り

昔は会社のおじさま達に
可愛がっていただいて

自分も気を配って
楽しんでいたけれども

近年は
もうそういう歳でもないし
マスコット役は引退して

ちんまりしてようと
思ってた。

のだけど

なんか意外とそうもいかない感じで
びっくりしている。

私は人に声をかけて
話を聞くのが天命なのかなあ。

やっと地味な存在になれて
ぼーっとできるかなと思ったのに。

働き始め

良い会社って
自分達で良い会社にいることに
割と無自覚な気がする。

今回働かせてもらう会社は
私が見える限りの範囲の方々が
皆さん伸び伸びされていて
居心地が良さそうである。

けれども、自分達で
私達は良い会社などとは
決して言わない。

会社なんぞ、色んな面があって
良いところも困ったところも
両面あるのが普通であり

何か部分的に評価するのはいただけないから
リアリティがあっていい。

昔「自称、良い会社」の
本当は良くない会社に
誤って入ってしまったことがある。

彼らは新卒からの
客観性が持てないヒヨコ達に
「自分達は良い人ばかりの良い会社なのだ」
と洗脳していた。

人事責任者は口先ばかりが巧く
現実が全くついてきてなかったし
言い訳も多かった。

新卒の生え抜き達もそれには気付いていたものの
会社自体は良い会社であると洗脳されていた。
(他を蹴って選んだ自らの選択を
肯定したかったのかもしれないが。)

人事責任者が不誠実なのに
良い会社のはずがない。

事実、中途入社組にとっては
呆れ返ることの連続だった。

あまりに不可解なことが日々多かったので
中途組で飲み会をすると毎回、大いに盛り上がり
結束が固くなっていった。

が、とある日
それに気付いた会社から
中途組の飲み会を禁止されたのだ。

思想統制とはこのこと。
まさに虫唾が走る経験だった。

そんなこともあり
企業の品格には
敏感になってしまったのだが

今回はとても居心地が良さそうで
ホッとしている。

長居はできない立場なので
このユートピア感を
しっかり味わいたい。