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まっすぐに

近所にオーラソーマの
先生がいることを知って
誕生日の少し前に
コンサルテーションしてもらった。

結論としては
私は自分で自分のことを
「まあ、大丈夫じゃない?」と
結構楽観している、
ということがわかった。

いささか試し甲斐がなかったし
なんか冷やかしみたいで
申し訳なかったけど
でも、自分で確認できて
ありがたかった。

私は色々先読みするから
自分で不安を製造してしまうことがある。

コンディションが悪いと
人々の関心を買おうとした
センセーショナルな話題に
惑わされたりだってする。

人を不安にさせて
お金を使わせるビジネスって
たっくさんあるよね。

無駄な心配をするのではなく
建設的なことに時間と労力を
注ぎたい。

命の配分

人の努力には
時間と労力を使う気は十分ある。

けれど努力不足に基づく愚痴に
繰り返し付き合うつもりはない。

そうゆう人はそうゆう人同士で
つるんでればいい。
クダをまきあえる人と群れてほしい。

何年経っても進歩しない、
努力不足の愚痴を
長らく何度も共有したい人は
基本的には努力する人に変わることはない。
そっとしておくのが一番。

そんなん長々と聞かせるなんて
失礼だよね。

老人ホームにでも行って
時間がある諸先輩方に
聞いてもらっておくれ。

そして私も
失礼だと感じることがあったら、
その場ですぐに伝えないとね。

お互いのため。
尊厳は侵食させないことが大事。

主義

私は
ファッション感覚で人に関わるのが嫌。
そういう感覚で人から関わられるのも嫌。

ファッション感覚の友達付き合いも
ファッション感覚の恋愛も
ファッション感覚の結婚も
ファッション感覚の子育ても
ぜんぶ嫌。

そう思ってたら
だめなのかなあ。

ちゃんと相手の心を大事にしたい。
第三者からどう見られたい、とかではなくて。
私の心も大事にしてほしい。

そういった世界観でないと
私は擦れてしまう。
これ以上、擦れたくない。

気持ちを温め合うためなら、関わりたい。

本が好きか?

本が好きだと思ってたけど
自分の中に相反する要素や葛藤が多いから
それらを解明、解消していくために
読んでただけな気もする。

自分が考えてることを
自分が考えたいレベルで話せる人を
すぐに調達するのは、なかなか難しい。

仮に、友達で当てはまる人がいたとしても
お互いの都合が合わせられるかわからないし。

そんなときに、紙になった先人に
お手軽な話し相手になってもらう。

読書するべきだから
読んでいるのではなく、
読めると助かるのだ。

私は幸い、国語に苦手意識がないから
色んな本やネットの文献を読むことで
大抵解明できる。

幼い頃に公文を頑張ってよかったなあ。
(回しものではありませぬ。)

近親

家族って
構成員の、
特に親の精神状態や
モラルのレベルで
いとも簡単に治外法権になりうる
危うい場所ってこと、
痛いくらい知ってる。

自分と向き合わない人達が
寄り集まっても
お互い傷を深めるだけ。
子供は無力で巻き込まれるだけ。

そのときの状況や
他の家族の気持ちを
しっかり心で感じて対応しないと
相手を納得させなかったことは
消えないから。

自分のエゴで
相手を消費する存在には
なりたくない。

芯を揺らす

少し前だけど、
がっかりすることがあった日があって
ぐだぐだしていたけれど

小野寺夫妻のドラマを見て
心が洗われて、気持ちを切り替えられた。

諜報の神様と言われた人(小野寺信さん)の話で
独善的になることのない、謙虚で誠実で
愛情ある人だったからこそ、

客観的で正しい情報を得られる
ネットワークを持っていて
絶対的に信頼できる心の友がいて。

だけど誠実すぎるがゆえに

アピールが足りなくて
戦争を止められなかったことを
悔やんで自信をなくしてしまう、
というストーリー。

誠実さと政治力って
反比例する人が結構いるよね。
なんでなんだろう。悔しい。

それを奥さんが強く温かく
励ましている様子に感動したし

パートナーっていいなって
珍しく素直に思えた。

人の高潔さを支えるって素敵。

なーんて、こんな風に
素敵なストーリーって
自分の想念を洗う効果があるんだねぇ。

自己啓発本にはできない効果。

最近、いい小説とか読めてなかったし
必要以上に現実的になってた気がする。

ちゃんとしたロマンは
持ってないとだよなあ。

心の芯を揺らすことができる本を
見つけていきたいな。

目標

一目見て、なぜだかすごく気になり

近づいて、よーく見たら
手が込んでいることがわかり、
ずっと見ていたい服、
みたいな人になりたい。

全然完璧じゃないけど、
接してみるとなぜか不思議な色気ある、
みたいなの。

外見でコントロールできない、
内面の深ーいところで
自分に向き合い、正直に誠実に
育っていけたらなあと思う。

資本主義VS教育

ビジネス寄りの学校法人は
信用ならない。

儲けようとすることと、
人の成長に真剣に向き合うことは
本質的に違っている。

前者には迎合があり
後者にはそれがない。

真に教育を思えば、
表面的な華やかさを選択するはずがない。

地に足のついた誠実さを追求するためには
ファッショナブルな制服や
華やかな校舎ではなく、
人間性に優れた、安定感のある教師と信念が必要。

今思えば、私は
ビジネス寄りとは程遠い学校ばかりに
通わせてもらった。

通い始めると
そこの文化が当たり前になるから
わからなかったけれど

多感な時期に
ビジネス寄りの学校だったら
もっと社会をナメていたかも。

信じられる先生達。
信じられる学校。
信じられる友達。

ありがたかったなぁ。

手堅さ

ワガママに生きてこそ
人生楽しいんじゃん?

誰かのスケールに
合わせるから楽しくなくなっちゃうし
不安だし、心配なんじゃないかなあ。

自分で責任取れるって
楽しいし、嬉しいよ。

私達は最後のロスジェネ。
社会がどれだけ変わっていくものか
よく知ってるはず。

自分以外の何かに
判断を委ねるのはラクだし
ついそうしたくなる気持ちも
私だって時々はある。

でも長期的に考えたら
リスクだらけ。

手堅くいきたい。

会えるギフト

こないだ
行こうとしていたセミナーに
寝坊して行けなかった。

寝坊自体に凹んだのもあるけれど
思ってた以上にがっかりした自分に
びっくりした。

昔、よくいろんなセミナーに
行っていた頃、
気分は上がるけど、

こういうのって実は気休めで
本当はあんまり意味ないかもなあ
なんて思ってた。

けど、
それが違うって
はっきり肌で感じた。

語るエネルギーがある人で
なおかつ、私が関心を持つ内容だと
私にもエネルギーが宿って
アイデアが降ってきて、気付きが増える。

時々行くセミナーは
気休めなんかじゃない。

会ってみたい人を生で拝見して
インスピレーションを受けられるものだから

会いたい友達と同じだ。