月別アーカイブ: 2016年9月

自由

25歳位までだろうか、
私は自由になりたいのだと
子供の頃からずっと思っていた。
一人暮らしは夢だった。

英語が得意だと自由だろうと思えば
勉強もするし、

人前で話すのが得意だと自由だと思えば、
放送部に入るし、

仕事が得意だと自由だろうと思えば
仕事に真剣に取り組むし、

夢だった一人暮らしのため、
家も借りてみた。

そうして一つ一つ、自由になれそうなことを
潰して行ったけれど

なかなか自由になれたと
腹落ちすることはできなかった。

私は何から自由になりたいのか、
私の目指す自由とは一体なんなのか。

いつもダブルバインドの間にあるような
何らかの焦燥感と共に生きていた。

色々なことを表現するのは
得意なつもりだったのに

私が理解したい自由の内容は
なかなか掴むことができなかった。

自由と名のつく本を読み漁り、
それぞれの自由を
エッセイから哲学まで確かめていった。

けれど、私に直接役立つような
解釈を見つけることが
できず、途方に暮れた。

そしてしばらく、
自由というキーワードに拘ることを
諦めて数年した頃、

私は、自分の考え方、生き方自体が
不自由さを生み出しているのだと知った。

何かの能力や経済力ではなく、
発想や受け止め方、捉え方が問題なのだと
本を読んでいて気付いた。

すぐには治せないが
ずっと探していた、開かないドアの
鍵のありかを知ったような、
爽快感があった。

それでも私はこれからも
自由になれそうな能力や立場を
次々と集めてしまうかもしれない。

でもそれは、
それらが私を自由にしてくれると
思っているのではなくて

何かを目指したり、磨くこと自体が
楽しいから。

真に自由になるためには
内面についての改革が必要。
それはそれで、別次元で進めていく。

今ほしいもの

子供の頃から
定量的な考え方に抵抗があって

(良い点数取るからって
 頭が良いとは限らない、とか笑)

単純明解で影響力が大きいのに
その数字の質は
扱う人の倫理観に依存してしまう。

そして、都合の悪いエッセンスを
隠す手段としてしばしば使われる。

「そんなつもりはありませんでした、
って言えば大丈夫だよね、誰にも罪はないよ」
という顔をして。

だから、そういうのが嫌で

定性的な考え方を
重視していたんだけれど

思いの外わかってもらえないことに
苦労した気がする。

定性的なことって、
理解力とか背景が
自分以上の人からしか
共感を得られないからね。

そんなことに気付くのに
10年くらいかかった。

定性的なことを多くの人に
納得してもらうためのツールとして、
定量的な技術が必要なんだよねきっと。

そういう意味で
数字はバカにできない。

自戒

子供のときに考えていたことって
結構、本質をついていたなとよく思う。

論理的思考は弱くても
直観が鋭く働いたんだろうな。

今忘れがちな大事なことが色々詰まってる。

本当に忘れてしまう日が
来るかはわからないけど
覚えてるうちに備忘録。

*****
自分の呼吸の音を聞いて、
心に耳を澄ませば、
何が正しいことなのか、
何が本当なのかは一目瞭然。

大人はわからないみたいだけど、なんでだろう。

テストで一番取ったって、
頭が良いとは限らないよね。

もっとできる子が、
片目をつむって解いているかも
しれないじゃない。

何かができることを理由に
人の価値は決まらない。

よって、
何かができないことを理由に
人の価値は減らない。

だから、
私がなにかをできる必要は
特にはない。

頑張るのは、
やりたいから、好きだからで
あるべき。

楽しくなかったら意味ない。
自分が汚れる。

できるできないで
人を測るのは恥ずかしいこと。
卑しい。

何かができること自体には
特に価値がなく、
その力を何のために使おうとするかに
価値が表れるでしょ。

人の価値は、何で決まるのかな。
心の温度じゃないかな。

何かができることで、
自分がエラくなったと思うことが
間違いの始まり。

自分が何かを持っていると
思い始めたら、
不必要な競争にさらされて
ツラくなるよ、きっと。

そもそも競争する意味ある?
始まっちゃったら勝ちたいけど。笑

成績悪いからといって
私の価値は減らない。

とはいえ、劣等感も嫌だから、
成績は半分よりは上にいたい。

でも
必要以上に頑張る必要はないから、
程々で。
もし楽しかったら頑張ればいい。

結婚式は恥ずかしくない?
なんで見せなければいけないの?

なぜうちは穏やかでないときが
あるのだろう。
人が集まるってなに。

そもそも結婚は必要なの?

人が一人増えるだけで
雰囲気が変わる。
人がたった一人増えるだけで。
少ない方が安心かも。

できるだけぼーっとしたい。
妄想してたい。
本当は自分はどうしたいのか?を
ずっと考えてたい。

本当のことって何?
誰か教えてくれないかな?
いつか心が通う親友が欲しい。

親や大好きな人が、
自分のための時間を持ってくれるのが
一番嬉しい。

特別何もしてくれなくていいから。
ただ私のために一緒にいて、
時を過ごして欲しい。
片手間ではなくて。

好きなお兄さんお姉さんに甘えたい。
兄弟がいるみたいになりたい。

年下の面倒を見たい。
いつもお兄さんお姉さんが
私にしてくれるように。

手芸がしたい。時間を忘れて。
ご飯もあんまりいらないから。

折り紙は角をピシッとしたい。

水遊びがしたい。

大人が何でもすぐ忘れるのが
信じられない。
なんて冷たいんだろう。

(女の人が化粧をするのを見て)
そんなことしなくても、私は○○さんのこと大好きだよ。

大人みたいに私も役割が欲しい。
忙しくなりたい。

まっすぐに

近所にオーラソーマの
先生がいることを知って
誕生日の少し前に
コンサルテーションしてもらった。

結論としては
私は自分で自分のことを
「まあ、大丈夫じゃない?」と
結構楽観している、
ということがわかった。

いささか試し甲斐がなかったし
なんか冷やかしみたいで
申し訳なかったけど
でも、自分で確認できて
ありがたかった。

私は色々先読みするから
自分で不安を製造してしまうことがある。

コンディションが悪いと
人々の関心を買おうとした
センセーショナルな話題に
惑わされたりだってする。

人を不安にさせて
お金を使わせるビジネスって
たっくさんあるよね。

無駄な心配をするのではなく
建設的なことに時間と労力を
注ぎたい。

命の配分

人の努力には
時間と労力を使う気は十分ある。

けれど努力不足に基づく愚痴に
繰り返し付き合うつもりはない。

そうゆう人はそうゆう人同士で
つるんでればいい。
クダをまきあえる人と群れてほしい。

何年経っても進歩しない、
努力不足の愚痴を
長らく何度も共有したい人は
基本的には努力する人に変わることはない。
そっとしておくのが一番。

そんなん長々と聞かせるなんて
失礼だよね。

老人ホームにでも行って
時間がある諸先輩方に
聞いてもらっておくれ。

そして私も
失礼だと感じることがあったら、
その場ですぐに伝えないとね。

お互いのため。
尊厳は侵食させないことが大事。

主義

私は
ファッション感覚で人に関わるのが嫌。
そういう感覚で人から関わられるのも嫌。

ファッション感覚の友達付き合いも
ファッション感覚の恋愛も
ファッション感覚の結婚も
ファッション感覚の子育ても
ぜんぶ嫌。

そう思ってたら
だめなのかなあ。

ちゃんと相手の心を大事にしたい。
第三者からどう見られたい、とかではなくて。
私の心も大事にしてほしい。

そういった世界観でないと
私は擦れてしまう。
これ以上、擦れたくない。

気持ちを温め合うためなら、関わりたい。

本が好きか?

本が好きだと思ってたけど
自分の中に相反する要素や葛藤が多いから
それらを解明、解消していくために
読んでただけな気もする。

自分が考えてることを
自分が考えたいレベルで話せる人を
すぐに調達するのは、なかなか難しい。

仮に、友達で当てはまる人がいたとしても
お互いの都合が合わせられるかわからないし。

そんなときに、紙になった先人に
お手軽な話し相手になってもらう。

読書するべきだから
読んでいるのではなく、
読めると助かるのだ。

私は幸い、国語に苦手意識がないから
色んな本やネットの文献を読むことで
大抵解明できる。

幼い頃に公文を頑張ってよかったなあ。
(回しものではありませぬ。)

近親

家族って
構成員の、
特に親の精神状態や
モラルのレベルで
いとも簡単に治外法権になりうる
危うい場所ってこと、
痛いくらい知ってる。

自分と向き合わない人達が
寄り集まっても
お互い傷を深めるだけ。
子供は無力で巻き込まれるだけ。

そのときの状況や
他の家族の気持ちを
しっかり心で感じて対応しないと
相手を納得させなかったことは
消えないから。

自分のエゴで
相手を消費する存在には
なりたくない。