25歳位までだろうか、
私は自由になりたいのだと
子供の頃からずっと思っていた。
一人暮らしは夢だった。
英語が得意だと自由だろうと思えば
勉強もするし、
人前で話すのが得意だと自由だと思えば、
放送部に入るし、
仕事が得意だと自由だろうと思えば
仕事に真剣に取り組むし、
夢だった一人暮らしのため、
家も借りてみた。
そうして一つ一つ、自由になれそうなことを
潰して行ったけれど
なかなか自由になれたと
腹落ちすることはできなかった。
私は何から自由になりたいのか、
私の目指す自由とは一体なんなのか。
いつもダブルバインドの間にあるような
何らかの焦燥感と共に生きていた。
色々なことを表現するのは
得意なつもりだったのに
私が理解したい自由の内容は
なかなか掴むことができなかった。
自由と名のつく本を読み漁り、
それぞれの自由を
エッセイから哲学まで確かめていった。
けれど、私に直接役立つような
解釈を見つけることが
できず、途方に暮れた。
そしてしばらく、
自由というキーワードに拘ることを
諦めて数年した頃、
私は、自分の考え方、生き方自体が
不自由さを生み出しているのだと知った。
何かの能力や経済力ではなく、
発想や受け止め方、捉え方が問題なのだと
本を読んでいて気付いた。
すぐには治せないが
ずっと探していた、開かないドアの
鍵のありかを知ったような、
爽快感があった。
それでも私はこれからも
自由になれそうな能力や立場を
次々と集めてしまうかもしれない。
でもそれは、
それらが私を自由にしてくれると
思っているのではなくて
何かを目指したり、磨くこと自体が
楽しいから。
真に自由になるためには
内面についての改革が必要。
それはそれで、別次元で進めていく。