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創作と心

アートと
言えるようなことでは
なくてもいいから

何かしら表現することで
内面の誠実さを確認、維持しやすく
なるのかもしれないと思う。

表現しようとするとき
良くも悪くも
自分の中のかすかな揺らぎに
気づくことができる。

自己一致した表現ができたと思えると
達成感があるけれど

そうでないと、モヤモヤ感が残る。
自分にも伝わらないから。

表現は心を澄まさないと
難しいって性質を利用して
人生に役立てたい。

芸事

大学時代に弦楽器が弾きたくて
ギターを結構練習したつもりが

なかなか上手くならなかったのに

演奏力ではなく
思いの外、音楽に対する審美眼が
先に上がってびっくりしたことがある。

これは書道もそうだったし
きっと何においても言えるはず。

楽器や歌が上手くなるのも
字や絵が上達するのも
かなり時間がかかるし

芸事って練習を止めると
あっという間に退化する。

だけど、それらの審美眼は
それよりもかなり早くに獲得できる。

しかも一度獲得できると
しばらく触れなくても
あまり低下しない。

かといって始めから
審美眼だけを獲得しようとしたり、
やらされ感で練習していても
なかなか身に付かない気がする。

上手くなりたいという主体性がないと
センスは育たない。

私は子供の頃から
ピアノを習っていたのに
音楽のこだわりがほとんどなかった。

それは、あまり主体性が
なかったからだと今思っている。

意識で脳が変わる良い例だと思う。

文字の味

どこかの子供達の習字。

久しぶりに
人の書いた文字をたくさん見た。

抑揚のない惜しい字が多くて
なんだかムズムズした。

小学生の頃、
たくさん習い事をした中で
書道は断トツに好きだった。

教え方が上手な書道の先生が
近所にいて、私もそこで習っていた。

細い字は「ヒョロヒョロ」
流れのない字には「どんくさい」と一蹴。

おかげで
しっかりした流れのある字を
書けるようになった。

飽きてきたり、やる気の出ない日は
瞬殺で見抜かれるから

的を射るスパイシーな指摘に
ドキドキしながらも
たまに褒められると嬉しくて。

中学受験のために仕方なく辞めてから
私立の中学に行ったら
勉強で忙しくなり、
戻るつもりが戻れないまま

あれから20年位経った。

自分で書いたら
もう歯がゆい字しか書けないはずなのに
見る目だけは、あまり落ちない。

もう一回習って
ちょっと教えてみたいなあ。

2016

今年は珍しく
ほのぼのと
「いい年だったなあ」と
思える年だった。

いつもが悪い年というわけでも
ないのだけど

今年は何ができただろう
自分を豊かに耕せただろうか

と、過ぎ行く歳月に焦燥感を
覚えるばかりだった気がする。

今年は何がよかったのかなと
考えてみる。

自分の努力が実りつつあることを
実感し始めたこともある。

まだゴールまでは道のりがあるけれど
とても励みになった。

根を詰めないように
気をつけたのも良かったかも。

すぐ完璧主義に走りたくなって
消耗して
やる気ゼロになったりしてたから。

あとは家の中が穏やかになり
子供時代の欠落を少しは
埋められた気がする。

さらに
すっかり自分のペースで生きたことで
内面に必要なものが
充満してきたみたい。

やっと学生時代のような豊かさを
再構築できつつあって
とても凪いでいる。

来年はもっと頑張れそう。

生業の振り返り

多分
その立場で求められる
思想、価値観、振る舞いの

ほとんどを理解できるし
ほとんど演じられるのだけれども

数年経つと
自分との乖離に
耐えられなくなってくる。

それが私の転職の理由かもな。

でも
ありがたいことに

入社しなければ良かったとか
退社しなければ良かったとか
思う会社は一つもない。

全て熟慮の末の結論だし
各々、その時の私にとっては
必要な決断だったのだと思う。

それぞれで
得られること、学べることが
確かにあった。

自信の根拠

昔から根拠のない自信がある。

でも友人から

「あなたは自信があるから」
と言われても

「自信ないところもあるんだけどなあ」と
あまりピンと来なかったりしたのだけども

ちょっとわかったかも。

多分、私に自信があるとしたら

よりクリーンな考え方になろうと
常に意識してるからだと思う。

無宗教は今後も貫くつもりだけど

より高次の祈りを
ひっそり持っていたいと
思ってる。

人から悪く言われたとしても

「そりゃ完璧じゃないけど、
頑張ってるもんね〜」と

爽やかに自己弁護できる自分で
ありたいと思ってる。

想念を整えておくと
去る者がいても追わずに

合わないなら仕方ないよねー、と
本心から傍観できる。

へこみを探して埋める

課題設定が
しっかりできていないのに
インプットをいくらしても
あまり意味がない。

資格の勉強で進め方を磨く中で
気づいた。

課題設定とは
自分の弱点を因数分解すること。

それまで
認めたくなくて
目を背けてきたこととかが
もしあったら
それも全てひっくるめて

目をかっぴらいて
分析しないとできないから
とても勇気の要る行為。

えぐられる気持ちになってこそ
意味があると思う。

真の成長は痛みが伴う。

それ以降は無理なく
インプットの効果がでるはず。

課題設定は一歩引いた視点に
立たないとできないから

時間的かつ精神的なゆとりが
必要不可欠。

それができないと
インプットの効果が下がるので
積み上げてる「つもり」の時間に
なってしまう。

力を入れるべきは
インプットではなく
アウトプットでもなく

課題設定だと思う。

ペルソナ設定

結局私らしさを保つには

無理に大人になろうと
しないことだなって気づいた。

20代は
仕事上の必要もあって
ずっと背伸びしてたと思うけど

今となっては
どこからどう見ても
大人には見えるはず。

敬語は苦手じゃないけども
常に敬語で他人行儀になるのは
さみしい。

興味がある相手には
時と場合を見極めて
ちょっとタメ口を織り交ぜながら
仲良くしたい。

きちんとした人だけど
固くてつまらないと思われるのと

ちょっと緩くてたまに失礼だけど
愛嬌があって楽しいと思われるのと

どちらがいいかといえば
断然後者だから。

年齢立場に関係なく
心許せる上質な関係性を築きたい。

一つの生きものとして

人の価値観は
もっと市民権を得ていい。

周りの人を見て考えるのではなくて
自分の腹に聞いて考える。

世界が本当にこれを徹底できれば

いじめも、戦争も
ほとんど起こせないと思う。

協調だって大切だけど

それと同じ位に
個で考える力は
重要だと思う。

心地よさのコツ

ファッション誌を買わなくなってから
1~2年経つ。

月に何冊も買っていたのに

今は、読もうとしても
あまりの情報量に面倒だと感じる。

前は、読んで
癒されていたはずだから
人間変わるもんだね。

百貨店に行っても
大して欲しいものがない。

インプットの量を減らしたことで

自分が本当に着たいものや
着心地がいいものに対する
アンテナの感度が上がった。

流行っていようとなかろうと
自分は本当は何が着たいのか
心に問う余裕を持てた。

私が一番いい影響だと思うのは

本当に着たいものがわかると
自分を大切にできている感じがすること。

流行に流されて
買いたいものが
常にあった頃と違って

物欲と焦燥感が混ざった
あまりよろしくなさそうな感情が
減って心地よくなった。

センスを磨きたいというのもあって
雑誌をたくさん見ていたけれども

センスが良くなることと
居心地がいいことは
必ずしも同じではない。

着たいものがわかっているなら
社会的におかしくなければ
十分だと思う。

これって、他のことにも
同じことが言えるかも。

本屋のビジネス書棚を見ると
いかに莫大な情報を
いかに早いスピードで処理するか、や
いかに多い冊数の本を読みこなすか、など

莫大なインプットを
奨励している文脈の本が
たくさん出ている。

そもそも本当に
そんなにたくさん必要なのかな。

そんなんで自分に何か
積み上がるかな。

一冊にかける時間が短ければ
印象は薄くなる。

読みたいものを読みたいペースで
じっくり読んだらいいじゃない。

その方が、
美味しく食べた食べ物のように
しっかり内容が身に付く気がする。

ほかにも
facebookでたくさんの人とつながることって
一見良さそうにも見えるけれども
これもなかなかしんどい。

人って必ずしも
一つの顔だけで生きてないから
いろんなコミュニティが一元化されると
本当にややこしい。

莫大に読みたいのではなくて
莫大につながりたいのでもなくて

「気持ちよく生きる」ことが
目的なんだから
あれ、なんか変だなって思う。

作為的な努力って
満足感から遠ざかることが
実は多いよなあ。